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【高千穂神社】激動の時代、心の支え~薩摩から鹿児島へ、砂糖地獄へ~

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徳之島のお正月に賑わう場所のひとつが、徳之島町亀津にある「高千穂神社」。この神社が建てられたのは明治時代初頭。徳之島では、薩摩から鹿児島に編入され、砂糖地獄が始まり、そして米軍統治化へ…!激動の時代、心の支えである宗教や神社はどのような変遷を遂げたのでしょうか。

目次

高千穂神社とは?

引用:京都の御朱印もらい隊

徳之島町亀津にある神社。かつてあった、菅原神社や松原神社は合祀されています。

高千穂神社は明治以降の徳之島の信仰形態の流れを知るうえで貴重な文化財であることから、徳之島町指定文化財に定められています。

高千穂神社の歴史

引用:京都の御朱印もらい隊

明治時代は1868年~1912年

1869年廃仏毀釈運動によって寺を廃し12の神社を建てる
霧島神社の分霊として天津彦火瓊瓊杵尊を祀って創建
1871年★廃藩置県によって鹿児島県に編入
1876年薩摩・松原神社の分霊を境内社徳之島・松原神社として祀った
1877年麦穂峰に社殿を造営し、徳之島全島の氏神とした
1910年亀津安住寺跡の菅原神社と共に本社に合祀した
ガリべんなちゃれ

日本は江戸から明治になり、徳之島は薩摩から鹿児島県になり…宗教の統一によって、全国統一を果たそうとする動きがありました。なかなか激動の時代。

鎖国終了➡砂糖地獄➡米軍統治下もこのころ

こんわくなちゃれ

マジであわせて読んでほしい。どれだけカオスな時代だったか。どれだけ精神的な支えを欲していた時代だったか。ちょっと見えてくるはず。

廃仏毀釈運動とは

明治時代初頭、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が起きました。神道を定着させるために、仏教を排斥して寺や仏像などが壊されました。

かなしみなちゃれ

特に薩摩藩の廃仏毀釈運動は激しく断行されたんだって…!

タップすると拡大表示

これは天城町兼久(かねく)集落のお墓。ちょっと見づらいですが…赤丸で囲ってある部分。廃仏毀釈運動によって、お墓まで削られてしまいました。

かなしみなちゃれ

でも明治9年にこの政策は中止。たった数年でたくさんの貴重なものが壊されたと思うと…悲しいね。。

村の聖地に建てられる

引用:京都の御朱印もらい隊

高千穂神社は亀津・面縄・阿布木名の三ケ方に鎮座し、亀津高千穂神社は、村の聖地であった「麦穂峰」に建てられました。

こんわくなちゃれ

神社が祭礼を執行するようになったら、仏教は次第に衰えていったんだって。。

こんなことがありました
  • 神道全島民が信じてきた安住寺が、神道を信ずることに
  • 死者があるときは神葬祭をするように
  • 毎年2/9と9/9には家運長久、災厄のはらい、五穀豊穣を祈願
  • 戦時中:出征兵士の武運長久を祈願
  • 戦後:例祭、観光葬祭
ちんもくなちゃれ

いろんなことがあったね。お参りするときにはちょっと想いを馳せてみてもいいかも。平和な時代に感謝です。

アクセス・電話番号

住所鹿児島県大島郡徳之島町亀津3647
電話番号0997-82-0178
ホームページ鹿児島県神社庁
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