徳之島の農業生産額1位を誇るさとうきび。奄美群島の名産品である黒糖焼酎もさとうきびが原料と、徳之島とは切っても切れない存在です。それもそのはず。薩摩藩に支配されていたころから今日までの島史は、さとうきび抜きでは語れないほど。大きく歴史が動いたとき、裏側にはさとうきびの存在があったかもしれません。
参考書籍
歴史には諸説ありますが、主に参考書籍の記述に則ってまとめました。
さとうきびの歴史を紐解くと薩摩藩の思惑が見えてくる
黒糖が日本に伝来
754年、中国の僧、鑑真によって黒糖が日本にもたらされる。
その後しばらく、砂糖は貴族しか食べられない貴重なものだったんだね~
1100~500年前の遺跡調査
関ヶ原の戦いから始まった
薩摩藩のもとになった島津家は、1186年、鎌倉幕府を開いた源頼朝に役人を命じられてからおよそ600年続いた家柄。1600年の関ヶ原の戦いで負けた西軍につきながらも、領地を荒らされなかった唯一の大名。
関ヶ原の戦い後の薩摩藩は、敗戦の借金はあるけど産業がない状態だったみたい。それで奄美・沖縄に目をつけたのかもしれないね…!
奄美群島が薩摩藩の支配下に
1609年に徳之島を含む奄美群島は薩摩藩の侵略を受ける。
薩摩藩の石高は60万石だったのが、奄美と沖縄を領地にしたことで、75万石になった。(当時の日本第2位)
支配する側から見る歴史と、支配される側から見る歴史って、ちがうよね…
奄美大島でさとうきびの栽培開始
1609年に奄美大島の直川智(すなおかわち)が中国からさとうきびの苗を持ち帰り、奄美群島大和村にて栽培開始(日本初!)
中国から国外へのさとうきび持ち出しが見つかると死刑…!箱の底を二重にして、さとうきびの苗を3本持ち帰ったのがはじまり。ものすごい賭けが、今日の発展に至ってるってすごいね~!
1712年までには徳之島でさとうきびの生産も始まってたみたい。
しばらく砂糖の製造&販売は奄美と沖縄の独占市場だったんだね!薩摩藩めちゃ儲かる!
薩摩藩、砂糖でもっと儲けたくなる
この頃までさとうきびの独占市場である奄美・沖縄を管轄していた薩摩藩には莫大な利益が上がっていたんだ。砂糖を安く買い叩き、大阪などで高値で出荷していたんだね。
薩摩藩はいままで年貢を米で納めさせていたのを砂糖に切り替えさせたんだ。そのせいで徳之島は米の生産量が減り、島民は日常の食糧すら困窮し始めるんだけどな…
米の豊作を祈るお祭りは現代に引き継がれてる
米を原料とする泡盛の生産も厳しくなって、黒糖酒の製造に力を入れ始めるんだ。
薩摩藩、借金返済に困る
薩摩藩の借金が膨らんだ原因例
- 幕府から薩摩藩に、国役事業の命令(宝暦治水事件)
- 遠方の洪水多発地域の工事が難航、自害者・病死者多数
- 参勤交代制度
- 鹿児島から江戸の往復はエグい
- 桜島の噴火などの災害
- 藩政改革(学校、医療、武芸、天文気象、外国研究など)
- 全国的な政治的影響力は各段に上がったものの、さらに借金が増えた
- 幕府がさとうきびの作付けを全国に奨励
- 各地で品質の良い砂糖が大量に市場に出回り、薩摩藩関連の砂糖価格は暴落
幕府が有力な藩を弱体化させるための、あからさまな嫌がらせも多かったみたい。
「さとうきびの作付け」を全国に奨励したおかげで、おおきな収入源だった砂糖の価格も暴落…!ここから薩摩藩の奄美への強行度合いが上がっていきます。
薩摩藩の強行策
薩摩藩のさとうきび関連政策
- 1755年 凶作、3年間納税の代わりにさとうきび作り
- 餓死者 3,000人以上、牛馬死亡数 1,200頭以上
- 1763年 納税の一部を砂糖で上納するように命じられる
- 徳之島島内の主要産業が、米作りからさとうきび作りに
- 1777年 産糖総買入制
- 出来た砂糖をすべて薩摩藩が買い上げ、砂糖を専売化
薩摩藩も幕府からの嫌がらせとかしんどかったと思うけど…だからって他の地域に嫌がらせしていいわけじゃないと思うの。綺麗事かもしれないけど。
さとうきび畑だらけの国が、奴隷制度の呪縛から解き放たれるためにしたこと
砂糖地獄…!
砂糖地獄の政策内容
- 砂糖の私的な販売は厳禁
- 砂糖の抜荷は死罪など厳しい罰則
- 島民の砂糖の所有、使用を禁止
- 指についた砂糖をなめたらむち打ち
- さとうきび栽培地の強制割り当て
- 作業内容が不良なものには刑罰
- 金銭の流通を停止
- 砂糖の密売防止のため
- 生活必需品は現物支給
- 砂糖と諸物品の交換比率は、島民にとって極めて低く設定された
この頃徳之島では台風災害、大干ばつ、飢餓、天然痘や熱病の大流行、バッタの大発生が…どんだけ厄災が重なれば気が済むんだ!
それでも闘牛は400年以上続いてるからすごいよね~!
歴史に翻弄される、徳之島とさとうきび
日本史と徳之島・さとうきびの関連性
- 1858年 日米修好通商条約➡鎖国の終了
- 海外の安価な砂糖が国内市場で流通し始める
- 1871年 廃藩置県によって鹿児島県に編入
- 1873年 大蔵省から奄美群島の黒糖売買自由化
- 大島商社による黒糖売買の独占
- 1907年 農商務省 糖業の奨励
- 明治維新以降、奄美の糖業は衰退していたが、この奨励によって徳之島は諸島第一の産糖地に
- 1946年 奄美群島が米軍統治下に
- 1952年 配給制で砂糖が貴重な存在に
ちなみに薩摩藩&幕末の有名人、西郷隆盛は1862年に徳之島に来島。大名の死で失脚し、奄美大島、徳之島、沖永良部に島流しに。その後時代の流れが変わり、復帰。薩長同盟設立、戊辰戦争などの立役者になったんだね。
実は西郷隆盛が活躍できたのは砂糖地獄も一因。
薩摩藩は借金から黒字化でき、幕末の薩摩藩の活躍資金源を確保できたんですね~
世界一長寿の方は薩摩藩時代を経験してた!
奄美群島の日本復帰と国策
1953年 奄美群島が日本に復帰。
12月25日に返還。覚えやすいね!
戦前~戦後の変遷を経た名曲
国内産糖は輸入粗糖から製造される砂糖に比べ生産コストが高いため、国策として糖価調整制度が作られている。糖価調整制度は輸入粗糖に調整金を課して、国内産糖の生産者・製造事業者に交付金を交付し、価格のバランスを図るものである。
国内産糖の現状とTPPについて
さとうきびは国に守られた事業なんだね!
糖類を原料とするお酒は「スピリッツ」として扱われ、日本の酒税法が適用されると高い税率が課されてしまうことに…!
戦後復興で経済的にも負担が大きいので、政府に嘆願。復興支援策の一環として麹の使用を条件に奄美群島限定で「焼酎」という分類になりました。
黒糖焼酎が奄美群島の名産品なのはそういった由来があるんだね!
現在&これからの徳之島とさとうきび
現在、徳之島のさとうきび生産量は鹿児島県の40%を占めているんだって!台風に強く、保存も効くのも離島向きだね!
さとうきびの生産力増強策は現在でも続いています。が、少しずつ変化も。
WTOなど国際的なルールとの整合性を図ったり、TPPで自由貿易の議題に取り上げられたり…時代に合わせて変わっていくことでしょう。
昔は大々的に嫌がらせを受けたり、困窮したりしていたから声をあげて阻止してきた歴史があるけど…もしかしたら今もじわじわ何かが起きているかもしれないね。世の中で何が起きているか、自分たちにどんな影響があるのか、誰の思惑なのか…ちゃんと知って、判断できるように日々研鑽ですな。
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